【新潟】HSP交流サークル

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HSPな日々㉞~ジョーカー~

HSPな日々⑥で映画の『ジョーカー』について触れたことがありました。その時は観たいけど不安があるというようなことを書いたのですが、先日ついに観ることができたのでここに残そうと思います。

まず先に断っておくと、内容は最低で全くおすすめしません。恐らく多くの誤解▪偏見▪恐怖そして危険な認識を植え付けるものです。ですので興味がない方は観ない方がいいと思いますし、興味がある方はそういったものを求めている自分がいるということを自覚すべきだと思います。私のように。

常々私は映画などに感情移入し過ぎることがあり、今回も観終えてから一日経った後もずっとシーンが頭の中で繰り返し反芻され、ジョーカーこと主人公アーサーの感情を強く感じています。

私が最初にこの映画に期待していたことは、怒りの感情の発散でした。思えば私は苛立ちこそすれちゃんと怒りを表現したことがほとんどありません。心の底から怒った時、とてもよくないことが起こるという恐怖が常にあります。ですので、アーサーの怒りを通して自分の怒りが発散されるのではないだろうか、と期待していたのです。
しかし結果は逆でした。今の私はアーサーが苦悩し涙する姿を思い出しては、その内にある怒りと悲しみが流れ込んできています。

物語が進むにつれ、アーサーは自身の感情の抑圧を取り去り、暴力という方法で表現、発散するようになります。
さすがにそれはまずいと思い、私は軽く運動してカラオケに行ってきたのですが、こんな形でこの気持ちを有耶無耶にしていいのだろうかという疑問が心の底にはあります。ですのでここにこうやって書き記すこともまた社会に適合する形で発散しているのだと思っていただければ幸いです。

実は観終わった後にWikipediaでジョーカーについて調べたのですが、そこには映画の流れがオチまで含めて細かく書き記してありました。私は最初悪意のある記事だと思ったのですが、もしかしたら不用意に観て感化される人を減らしたいという思いからだったのではと、今では少し思います。

何よりこの映画は内容に反して出来がいい。よすぎるのです。主人公アーサーの心の変容が、まるで遮るもののない清流のごとく最初から最後まで淀みなく流れていきます。しかしそのゴールにあるのは、この社会にあってはならない暴力の支配する世界です。いつの間にか社会の常識が変わっている。何が普通で何が正しいのかわからなくなる映画。それ故私は出来はいいがだからこそ最低、危険なものだと思うのです。

ここまで読んでいただいた方はおそらくすでに抗体ができていることでしょう。申し訳ないですが素直にこの映画の世界にのめり込めなくなってしまっていると思います。そんな他人の映画を楽しむ機会を奪ってまでも、私はこの作品に強い危機感を抱いた次第です。