【新潟】HSP交流サークル

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HSPな日々㊱~宗教①~

突然ですが私は宗教が好きです。いきなり炎上しそうな話題ではありますが、いずれこういったことも書きたいと思っていたので、今回は日頃私が考えていることを徒然なるままに書き綴っていきたいと思います。

ただ最初にお伝えしておきますが、やはり宗教家の中には悪どいことを考えている人もいれば、この時代や社会に相容れない思想のものもあります。なので不用意に誘いに乗ったり盲信すべきではないと思いますが、これは宗教に限るものではないと思いますので、何であっても隙を見せずにいることが大切なのだと思います。
そしてこれはあくまでも私個人の価値観であります。この世界にあるもの全てが現在の科学で説明できるわけではありません。ですのでくれぐれも宗教を否定するものではないということは付け加えておきたいと思います。

と予防線を張りながらも、私自身は特定の宗教を信望しているわけではありません。私にとって宗教とは、人が作った最高傑作なのです。

科学なき時代、人はその想像力をフル活用させ神や世界の成り立ちを補完しました。そして時に社会のモラルやルールと密接に絡まりながら人々の奥深くに根付き、時に人の行動を左右してきました。多くの人が西暦を使っていることからもわかるように、そもそも人の歴史は宗教と共に歩んできたのです。
現代の日本人にとってはその感覚は薄れてきたかもしれませんが、むしろ無意識のレベルで入り込んでいるものを考えると、より密接になったと言えるのかもしれません。

それらは時に芸術を生み、争いを起こし、共通の認識を作り、世代を越えて受け継がれてきました。そして同時に、人々に安寧と生きる希望を与えてもきました。
あの保守的な教義の裏には団結しなければ生き抜けない過酷な自然環境があり、礼節を重んじる国民性の裏にはそれを美徳として推奨する教えがありました。
神の言葉は勇気と希望を与え、生きる喜びと行動の後ろ楯になりました。

とまぁなんだか抽象的なことばかり書いていると思うかもしれませんが、はっきりと固有名詞を出すといろいろよくないかなと思った私の逃げの一手です。

つまり言いたいのは、宗教は多くの人の想いや想像力が折り重なってできており、それには良い面も悪い面もあり、そして人の歴史と深く関わってきたものであり、宗教があることは自然なことなのだということなのです。

ちなみに神の存在を信じないのかと言われれば、見たことも会ったこともない存在を手放しで信じられないが否定もしないと答えます。そして神がいたとしてもいなかったとしても、私の生き方は変わらない。私は私の信じる道を生きていきますし、私を説明するのに神を引き合いに出す必要はないのです。

そんなたいしたことは言ってない割りに文字数は多くなってしまいました。
次回は私の信じる宗教感についてお話ししたいと思います。