皆さんは自分は生きているだけで素晴らしい存在である、と感じることはできていますでしょうか。
HSPの傾向がある人はいわゆる愛着形成に不備が生じることが多いとのことです。それは親に特性を理解してもらえなかったり、親からの非言語的なメッセージを過敏に感じ取ってしまうからだと言われています。
ただHSPに限らず、昨今は愛着形成が難しい時代と言われています。共働きが増え、核家族化が進むにつれ、乳幼少期から保育園などに預けられることが多くなったことから、十分な母子関係を築く時間が少なくなっていることが原因の一つと考えられています。
ここからは私の想像なのですが、あるいはそこに宗教の衰退も一つの原因にあるのではないでしょうか。
そもそも本当に社会的な背景から愛着形成が難しいのであれば、例えば戦中戦後などはもっと難しかったのではないでしょうか。
また愛着の不備は親子間で連鎖していくとも言われますが、それではいずれすべての個人に不備が生じることになってしまうのではないでしょうか。
そこにかつては宗教的な助力、つまり「いつも神様が見守っていてくれている」という信仰が、母子間の愛着形成の不備を補っていたのではないかと思うのです。
私の祖母は何かにつけて、神仏の加護を口にしていました。祖母の出自はかなり愛着形成が難しい環境であり、明らかにその不備が感じられました。しかしそんな状態でも、仕事を続け家庭を持ち、平均水準的な暮らしを何十年も維持してきたことは、母子関係と同列なくらい強い信仰が愛着形成を補っていたからではないかと、私は考えたのです。
別に私は宗教が素晴らしいとか必要だとか思っているわけではありません。ただふと思い付いた考えを、残しておこうと思った次第でした。