先日、映画「チア☆ダン」を鑑賞しました。理由は、知っている場所が舞台だったから。本当にそうでした。めっちゃ知ってる風景が福井県として紹介されていて笑いました。
なのでそんなに内容は気にしていなかったのですが、観てみるとどうにもいろいろ考えさせられたので、今日はそれについて書こうと思います。
簡単に言えば、女子高生がチアダンスで世界を目指すスポコン物。そしてノンフィクションだそうです。あ、今日はネタバレ盛り沢山なので、嫌な人はここで終わりにしてください。
観た上で私が引っ掛かったのは動機。最初ダラダラとやる気のない部活だったところに、大きな目標があれば人は変われるという信念から、世界を目指すという目標を顧問の先生が引っ提げます。当然ついていけない生徒は退部。残った生徒はお互いを励ましながら楽しく活動するものの、そんなでは世界は目指せないと叱責。信頼の裏打ちがあったからなのか、生徒はお互いをダメ出ししながらも全米大会で優勝。そして本当は先生も辛かったというネタバレで感動のフィナーレです。
ここで疑問。退部した生徒はどうなるの?努力や友情。確かにそれは素晴らしいですが、それらもある程度の土台や環境があってこそ、つまり運や才能だと思います。その指摘を想定してなのか、努力してもかなわないかもしれないがやり続けるしかない、というフレーズも出てきます。
私はここで、「ブラックスワン」という映画を思い出しました。確か以前書いたことがあったと思うのですが、これも悲惨な環境に置かれたこどもが、バレエの才能で抜け出すという作品です。
私が知りたいのは、そんな才能も運もない人はどうしたらいいのか、ということです。やってみなければ才能も運もわからない。確かにそうです。では諦めたこどもたち自身の責任なのでしょうか。スタートラインは不平等です。子は親を選べません。そして学校も先生もです。うまくいった部分だけにスポットライトを当てて、そうでない部分は描写せず切り捨てる、そういうことでしょうか。
また同時に思うのは、これは原始時代への回帰なのだろうかということ。獲物を探し、生きるために必死で、群れを守るために助け合う。そういうものを現代で求めているの?結局昔はよかったとか、そんな考えになっていくのかしら?
などといろいろなことを考えてしまいました。