久しぶりの交流会を終え、今私はあらためて、「HSPとは何か」ということを考えています。
HSP。繊細な人、強い環境感受性。
初めてこれを知った時、私は救われた気がしました。自分だけじゃなかったんだ。仲間がいたんだ、と。
そしてそんな人達に会いたい一心で、交流会を始めました。
定期的に交流会を開催する中、突然メディアにHSPが取り上げられるようになりました。
期待、困惑、不安、そして心ない偏見。
「自分で繊細なんていう人とは関わりたくない」。そんな言葉を聞くと、HSPは口外しない方がいいのではないか。そう思いました。
そもそも自分は本当にHSPなのか。
精神疾患、発達障害、愛着障害などなど。どれも繊細さが含まれており、本当のところはわかりません。提唱者のアーロン博士ですら、大人になってからの判別は難しいと言われておりました。
また最近の研究では、発達障害=HSPではないが、HSPの人は高い確立で発達障害に含まれる。そんな結果も出ているそうです。(ソースなくてすいません)
私は発達障害なのではないか。HSPを知る前に何度も考えましたし勉強もしましたが、どうにも自分を説明することができなかった。
愛着形成は確かにうまくできていない。しかしだから繊細になったのか、繊細が故にうまく育ててもらえなかったのか、それもわからない。
いろいろある自己診断の結果は、どれも高得点でHSPでした。
わかったことは、HSPなのかどうかわからない、ということでした。
そしてまたこの問いです。「HSPとは何か」。
先日久しぶりに交流会を行って感じたことがあります。それは、楽しかった、ということ。
HSPを掲げたことで、私はたくさんの人と出会うことができました。
もちろんすべての人とうまくやれるわけではありません。例えば私は内面は野生動物のように怖がりなので、近付く素振りを見せる人からは逃げてしまいます。繊細だとしてもそれぞれ性格は違うので、相性はやはりあります。
ただそれでも。私はHSP交流会をやってきてよかった。傷ついたこともあるし、傷つけたこともあると思います。それでも、やってきてよかったのです。
「HSPとは何か」。もしかしたら「ステッカー」みたいなものなのかな。
車とかに貼ってありますよね。「○○どうでしょう」とかのステッカー。あんな感じ。
「私はHSPなんです」。それを目印に、会いたい人達が集まることができる。
嫌なら剥がしたっていい。スティグマとは違います。貼るか貼らないか、伝えるかどうかはいつだって自己判断。いや、自己診断。
もちろんこれは私の考え。皆さんはどうですか?
「HSPとは何か」
よければ一緒に、語り合いましょう。